かかりつけの内科医からドクターストップが出て、1ヶ月の病気休職になりました。ストレスによって胃や腸の不調が出ていたことに加えて、診察中にも自然と涙が出てしまっていたことや職場の管理職の対応等も話していたこともあり、もう休むべきと判断されました。
休職1週目:心身の回復に専念する時間
休職して1週目は、家にこもって横になっていることが多く、今後のことは考えずに体調を優先して、とりあえずゆっくり休もうという気持ちでした。スマホ等を見る余裕すらなく、ひたすら寝て過ごしました。
ただ、近所の学校のチャイムが不意に聞こえたり、小学生たちが楽しく下校する声が聞こえてきたりすると、子供たちも今日1日頑張っているのに私は寝ていただけ…という何とも言えない気持ちになりました。
また、両親に対してここまで育ててもらい、教員になるために大学にも出させてもらったのに、という申し訳ない気持ちでいっぱいになり、自分の情けなさをひたすら責め続けました。また、何がいけなかったのだろう?もっと頑張れなかったのか?それとももっと手を抜けばよかったのか?といったことで頭はいっぱいでした。
休職2週目:回復と芽生える罪悪感、そして将来への不安
2週目になると、思ったよりも体調の回復が早く、横になっている時間が苦痛に感じられるようになってきました。家の掃除をしたり、読書をしたりと元気になったのだから何かしなくてはいけないと駆り立てられるような気持ちが湧き上がりました。働いていないのに、電気をつけたり、ご飯を食べたりしてお金がかかることへの罪悪感があり、それを払拭するには、家族の役に立つために何かしないと!と。(今考えると、その状態も異常に思えます)
また、今後についても冷静に考え始め、元の学校には戻れないと思う反面(戻ったとしても、担任としての業務量は変わらず、またいつ体調を崩して職場に迷惑をかけてしまうのだろうか?という不安を抱えながら働くのは無理だ…)、戻れるのなら辞めた場合のお金の心配や転職先を考えずに済むのでは?という安易な考えの葛藤が続きました。友人も教員が多かったので、辞めてしまったら友人からどう思われるのだろう、友人がいなくなるかもしれないといったことも考えました。(コミュニティの狭さも自分の考えを狭め、苦しめる一因だったかもしれません)
今後について考えていく中で、一度立ち止まってしまったことにより「こんな生活を続けていてまた働けるのだろうか?」といった漠然とした不安が常に襲ってきました。夫にも「私、働けるのかな?」と聞くのが口癖になっていました。夫からは「人生はマラソンなのだから、常に全力では難しい。時には休むことも必要だし、今までは短距離走の走り方だったから見直す機会にすればいい」と。
退職を決意するまでの葛藤:仕事への価値観と自己肯定感
最終的には、「健康を害してまでするべき仕事はないこと」「今は転職が主流になっていること」、もしもう一度教師をしたいと思えばいつでもまたチャレンジしよう!という気持ちで自分を納得させながら退職することに決めました。
私の場合は、病気休職になって2日後に代わりの先生が見つかったこともあり、管理職に退職を伝えると、すんなり受け入れてもらえました。それは、今考えるととてもありがたく、ラッキーなことであるはずなのに、気持ちが落ち込んでいた当時の自分からすると、「せっかく数年間頑張ってきたけれど、最後はこんなにあっけないものなのだな」、「自分の代わりなんていくらでもいるのだな」とネガティブに考えていました。
しかし、それがきっかけとなって職場復帰したとしても、どうしても自分に戻ってきて欲しいと思わせるような人材ではなかったのだから、周囲からの支援は期待できないし、自分の心身の健康を守れるのは自分しかいないと改めて思う出来事となったことも事実です。タイミングってあるものですね。
でも、きっとこの一連の気持ちを味わったことが誰かの役に立てたり、今後の自分の人生を彩る味になったりしたら素敵!と考えて前向きに進んでいきます。
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