病気休職に入る2週間ほど前の休日に夫の友人たちとBBQをした時のことです。
その日は、体調も優れないし、日曜日だったので、家でゆっくりしたい…と思う気持ちがありつつも、夫は以前から楽しみにしていたので、参加することにしました。
ちなみに、夫は教員免許を持っていますが、教員という道を選びませんでした。教育実習の時に職員室の先生方の雰囲気に自分は合っていないかも?と思ったそうです。(自己分析がしっかりできているな〜!)
今回、BBQに参加していた夫の友人は、教員もいれば、一般企業や市役所に勤務している友人もいました。
そこで、何気ない会話の中でBBQ場所であった友人宅から20分ほどの場所に新しいスーパーができたという話題になりました。そのスーパーは、私が以前からテレビで見ていて行ってみたかったスーパーでした。
自宅から友人宅までは約1時間ちょっとで、自宅とは反対方向にそのスーパーはあるので、自宅からは約1時間半ほど。
その話をしていたのは16時ごろでした。
友人には、当たり前のように「せっかくここまで来たのだから、寄って行ったら?」と言われましたが、その時の私はそんなことは絶対にできない!と心の中で思っていました。
なぜなら、そもそも私の中で土日休みの過ごし方として、土曜日は出かけたとしても、日曜日は家で翌週の授業準備をしなければ!という気持ちがありました。
誰かにそうしないとダメ。と言われたわけではありませんが、自分の中でそうしないと翌週の自分に余裕がなくなり、パフォーマンスが下がるという強迫観念がありました。
日曜日に出かけることさえ億劫だったのに、帰ったら18時ごろになってしまう…何も準備もしていないのに…と半分泣きそうな気持ちになりました。もう明日は行きたくない…とさえ(笑)
大袈裟かもしれませんが、そのくらいの気持ちで準備ができていなければ、自信をもって仕事に行けなかったのです。さらには異動したてだったので、業務量は通常よりも多く、日曜日だけでは足らずに土曜日も仕事をして準備万端にしないと!という気持ちがありました。
他の先生方はその学校に何年もいて、よく知っているからスムーズに仕事ができるけれど、自分はまだ慣れていないのだから仕方ない。来年にはきっと慣れているだろうから今頑張ろう。と。
土曜日に学校に行き、誰もいない職員室で、コンビニのいつもは買わない少し贅沢な飲み物をご褒美にしながら仕事をするのが至福でした。それを日中にしておけば、夕方は友達とご飯に気持ちよく行ける…!と。それが自分にとって最高な休日の過ごし方だと思っていました。
話は戻りますが、早く帰りたいという私の気持ちを理解してくれている夫がスーパーには寄らずに帰ることを友人に告げると、「せっかくなのに、もったいない〜」言われました。
その時点で、友人にとって日曜はゆっくりするという概念がないことに気づき、羨ましく感じました。
また、その後に趣味の話になり…その友人は世界遺産検定を受けて、楽しかったからと「ぜひ受験してみなよ」とおすすめしてくれました。
その時にはっとなりました。
自分はいつから教材研究以外の勉強をしていなかったのだろう…?と。しかも、お金を払ってまで、何に役立つか分からない検定を受けるなんて…!と。
その時点で私にとっては、楽しそうに趣味のために勉強する友人が眩しく思えました。
土日を仕事のことを考えずに、自分を楽しませるために時間を使えるなんて、いいなあ〜と。(本来であればそれが普通なのかもしれませんが)
もちろん、教員が全員私と同じ休日の過ごし方なわけではないと思います。
しかし、私の教員をしている友人たちは似たような過ごし方だったので、みんなそうしているものだと思っていたし、土日に準備をせずに翌週を迎えた時の絶望感は味わいたくないほどで、子供たちに対しても余裕を持って接してあげられないのではないかという気持ちがありました。
また、その時は仕事に追われていただけでなく、お金に対してもものすごくシビアで自分に厳しかったと思います。だから、趣味にかけるお金なんてもったいないという気持ちがありました。
それこそ、仕事を気持ちよく行うために、新しいスーツや可愛い付箋を買うのは厭わないのに、映画館に映画を見に行くことはためらい、今月の貯金額だけが心の安定になっていました。
貯金の目的ははっきりしていませんでしたが、漠然とした不安から金の亡者になっていました(笑)
今なら、趣味がないことが自分の視野を狭めて追い詰めていたことや趣味によってさらに教師としての幅が広がり、子供たちにも還元でき、魅力のある教員になれたのになあと思います。
でも、友人とのBBQによってこの働き方は普通ではないのでは…?と感じることができました。
ただ、もっと手を抜いていいと周囲に言われても、自分が自分を許すことができなかったのです。これが完璧主義なのかな?と思いますが…
この職業を続けていくには、自分の根本から変えていかなくてはならなかったのだと思います。
周囲の先生方に恵まれてここまで続けてこられましたが、今後は年数が経つにつれて学年主任や校務分掌もどんどん増えていくことが予想され、さらにライフステージの変化によって育児があったとしたら…と考えると、今回のタイミングで退職していなかったとしても、いずれオーバーワークになっていたかなあと思います。
夫には、その丁寧に仕事ができる点を役立たせる仕事に就けば良いと言われ、自分を無理に変える必要はなく、よさで勝負すればいいのだ!という気持ちになっています。
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