「辞めてよかった」と「辞めなきゃよかった」の狭間で
休職中や今も一番ありがたかったことは、姪のお世話を手伝っているとき、人の役に立てていると感じる瞬間でした。ですが、お世話を私がしてあげているようで、姉の家に遊びに行ってはいつも私の不安なことを聞いてもらっていました。
姉とは小さい頃、そこまで仲良くない時期もありましたが、私がメンタルが弱っているときには、不思議なほどピンポイントで背中を押してくれます。
退職後は晴れ晴れとした気持ちで、「退職してこんなに元気になれてよかったのだ!」と思えるときもあれば、将来のことを考えたり、教員時代の楽しかったことを思い出したりして、「仕事辞めなければよかったかな?」と正直気持ちは穏やかではありません。どちらかといえば、ジェットコースターのように仕事についての考えが1日の中で変わります。
姉の言葉が教えてくれた「自分を大切にする練習」
姉にその気持ちを打ち明けると、教員とはまったく別の仕事をしている姉からは
「教員の費用対効果は見合ってないよ。自分がその立場じゃないけど、大変なのはわかるし、体調崩した時点でちょうど辞めどきだったと思うよ。体調を崩してまでする仕事はないし、まだ元気に戻れるうちに辞めて良かったと思うよ。」と。
私は、自分が我慢すれば済むのならそうした方が楽と自分をないがしろにしてしまう部分があるので、その言葉を聞いて、これも自分を大切にする練習なのだと思うことにしました。
人に迷惑だけはかけたくないとあれほど思っていたのに、結果的には一番迷惑をかける形でやめてしまった。そうなるまでになにか手を打てたなら…自分も周囲もまだマシな結果になっていたのかもしれません。
次こそは、自分が迷惑をかけたくないと思って、完全にゼロを心がけるよりも日頃から1日に10ずつでも人を頼っておいた方が一気にドカンと100の迷惑よりもいいのかもしれないと気づきました。
人は変わる。その変化を「悪」だと捉えてしまう自分
姉は2人の子供を育てながらほぼフルタイムで働いています。
どちらかというと、就職したときからキャリア志向が強く、このままずっと今の職場で働いてキャリアを築いていくものだと思っていました。
ところが、育児をしている中でやはり子供と一緒にいたいという気持ちが強くなり、「姪が小学校に入学したら転職しようかな」なんて言うので、こちらもびっくり!
人ってライフステージによって、自分の考えってどんどん変わっていくのだと再認識させられました。
自分の考えが変わったことを悪とせず、自分自身が受け入れることが大切なのだ。
私にとってはこれも不得意とすることだと思います。
小さなことで言えば、あれだけお気に入りで2日に1回は着ていたようなお気に入りのワンピースを次の年になると、着たくなくなる…なんなら、クローゼットに入れておくのも嫌になり、誰かに譲りたくなる。
どうしてたった1年でこんなに好みが変わってしまったのだろう。と思いながら、これはよくないことなのか?自分は飽き性か?なんて捉えてしまう。(この時点で正しい、正しくないの視点でものごとを捉えがちなのだと分かりました)
そんな余計なことは考えずに、その年にまた好きな洋服を着て、「今年はこういうのが好きなのね🎶」なんて自分を楽しめばいいのだ。とこのブログを書いていながら、俯瞰した自分はそう思います。
だから、どんな自分も受け入れてあげて、責めずに、たとえ人にとやかく言われようと批判されるのが怖くてその声に同調するのではなく、自分だけは自分の味方でいなくちゃ!と思いを新たにしました。
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